経  営  談  話  室 
【経営談話室 Vol.14】
 
 6坪から始まった、バラエティ・チェーン
 
         波奈の名のもと、快進撃は続く
 
早野商事 株式会社
     早野社長に聞く
 
 千葉市内に展開される波奈グループを知らない人はいないことでしょう。お寿司からとんかつ、鶏肉料理 知らずに利用していたお店がこのグループの一員だったりする、そんな身近な存在となりつつある早野商事。先月、初の東京進出を遂げた創業者・早野友宏社長に、お話をうかがいました。
 
‥‥‥起業のきっかけは?
 まず資本のかからない商売を選ぼうと思いました。自分は勤め人になれるタイプじゃないし、何でも自分で作り上げていく方が好きだったので、食べ物を売る店、それも自分の好きな魚を扱う商売がいいと思った。当時、館山には寿司店が40〜50軒あって「お寿司の町」と言われていました。今と違ってファミリーレストランもなく、寿司屋はどこでもよく流行っていたんです。
 昭和41年、館山市内に6坪の寿司屋を開業しました。その店の名前が波奈寿司で、波奈というのは、家内の名前なんです。あの頃、ケータリングのようなものも無く、お寿司の出前というのは本当によく注文がありました。だから店が小さくてもやっていけたのです。しかも、その頃の板前さんは、どの店も職人気質丸出しで、こちらが食べさせてやっているみたいな、まるでサービスなどと呼べるものではなかった。ろくに挨拶もしないのにお客さんは入る。今と違って、すし業界は一般的にすし一貫いくらなんて計算ではなく、全部食べ終わってからまとめて「○○円になります」と大まかに言ったもので、値段もバラバラでしたよ。

‥‥‥波奈寿司は、その後どんな展開をしたのですか?
 そこで私は、寿司屋のそういういい加減な部分をきちっとしてみたらいいんじゃないか、と考えました。価格は常識的な明朗会計。館山じゅうの寿司屋で一番大きな声で「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」。要するにお客様の側に立って商売してみようと。何しろ私は商売を始めたばかりで技術もないし、いい職人さんを使っているわけでもない。それでも2年半で、館山の寿司屋で売り上げが一番になってしまったんです。その頃には店も6坪から25〜6坪の広い所に移って、まだ若かった私達夫婦が一生懸命働いて、ハキハキと挨拶をする初々しさに(笑)、お客様が好感をもって下さったようでした。
 その当時から常に心掛けていたのは、他の店との差別化です。自分の店と、この店はどう違うのか。あの店はどう違うのか。それを徹底的に突き詰めようとしました。他の店と同じようにしていてはダメですから、つまりうちはほかとは変わっているわけです。波奈寿司ってどんな店?と尋ねられたら誰もが即答できるような店にしなければいけない、と。

‥‥‥具体的にはどんな工夫をされたのでしょうか?
 いいお店があると耳にすれば、東京でもどこでも出かけて、とにかくすぐに見に行きました。そしていい所を真似る、真似をしながら自分のものにしていく。でも普通の板前さんは、あんまり他の店を見に行ったりしないんです。職人というのは、どうも自分がナンバーワンだと自負することが大事で、それで成り立っている世界なんです。特に田舎だったら、それで十分食べていける。みんな地元で代々店を持っていて、お客様もいるしね。でも私の場合は借金して店を始めて、親を食べさせなきゃいけない。何がなんでも早く商売を軌道に乗せたい。どこかに自分よりもっとすごい人間がいるからこそ、さらに上を目指しました。商売を始めて3ヶ月後に、私はさらに特長のある店にしたいと思い、「まな板寿司」というのを出してみたんです。ただ"下駄の形をした小さなまな板"にお寿司を並べただけなんですが、みんな名前につられて「どんなのだろう?」と興味を持って、食べに来る。それで話題性の大切さを知りましたね。
 3年後には、店の売上げが当時で年間1億円を越えていました。小さな店舗での売上げでしたから、坪効率で言ったら全国で1、2を争うかという経営診断をしていただいたこともありましたね。当時、1人前のお寿司の値段は大体200円でした。うちはそれを180円にしてみました。当然、地元の組合の皆さんには釘をさされましたが、私は他の店と違って何しろ始めたばかりなんだから大目に見てくれとお願いをし、自分のポリシーを守った。そのうちに、ダントツで売上げが伸びて認めてもらえるようになりました。こんなことで私の中に少し自信というものが生まれてきて、例えば「房州の寿司を、銀座のど真ん中に持っていって、名産の菜の花を添えて売ってみよう」とかいろんなアイディアを私が提案するわけです。でも結局、誰も本気にしてくれなかった。その頃から、いつかは東京に出てやってみたいという気持ちを持ちながら、創業から10年近くが過ぎていったんです。

‥‥‥売上げが上がってきたことで何か変化はありましたか?
 個人的にはいろいろな趣味に走りました。射撃や狩猟、猟犬を20〜30頭飼って「犬屋」なんて呼ばれるほど熱中しましたが、そのうちに面白くなくなってしまった。やっぱり商売の方が自分にとっては面白いんだと気付きました。そんな時、たまたまカラオケの営業マンが飛び込んできて、千葉県で初めてカラオケの代理店になってみたら飛ぶように売れたんです。2年くらいで寿司屋より儲かるようになってしまいましたね(笑)。
 その時は正直、寿司屋とカラオケ屋、どちらを本業にしようか悩みました。今の私だったら、経営について少しは身についていますから、迷わずカラオケの方を取ったと思いますが、当時の私は、寿司屋を選んだというわけです。商売というものは、儲かればいいってもんじゃない。やっぱり自分が好きな商売じゃないと。それで、好きな商売をより大きくするためには、もっともっと経営について勉強しなきゃダメだ、と思い立ちました。それで商業界の勉強会や講習会などに少しずつ参加して、経営理論を学ぶようになったんです。東京進出も意識していました。そんな頃に、知人から、今のすし波奈1号店の場所(千葉市内)に出店しないかという話があったんです。

‥‥‥千葉市で寿司店を始めた頃のお話を聞かせて下さい。
 千葉市内の寿司屋さんは、当時、相場の2倍くらい取っていました。千葉駅からタクシーに乗って「千葉で一番いい寿司屋に連れてってくれ」と言うと、「やめた方がいいよ、あそこは高いから」と返ってくる。寿司=高級、というイメージが街全体にしみついていて、店の看板に"寿司"と書いてあれば敬遠されるような風潮でした。ですから、「波奈寿司」として店を出したかったんですが、「活味(いきあじ)波奈」という名前をつけ、お寿司と一品料理の店、と銘打つことにしました。そうしたらオープンした途端、連日大忙しで、大成功でした。
 そんな頃、増えて来たのがテイクアウトのお寿司屋さんでした。チェーン店展開で、どこの店も行列ができている。私の店も並んではいましたが、テイクアウト寿司の方が列が長いんですよ。早速、私も見に行きました。あの当時、うちでは1人前700〜800円でしたが、テイクアウトでは350円で、ネタも半分くらいの大きさのを、それでもみんな買って行く。これで売れるのなら、うちはもっといいものを作れるぞと思い、15坪のテイクアウトの店を四街道でオープンさせてみました。そうしたら毎日、20〜30万円も売れるんですよ。その頃はうちにもプライドを持ったいい職人さんがいて、ネタも味・大きさともにきちんとしたものを出してました。やがて他のチェーン店さんが偵察に来るようになりましたから、私は手前味噌ながらテイクアウト寿司の質の向上に貢献したと思っています。

‥‥‥その後、波奈1号店とテイクアウト寿司、どちらに重きを置いたのですか?
 繁盛している1号店が世間に知れ渡ってくると、フランチャイズでやらせてくれ、という人が次々に現れました。しかし私はフランチャイズの何たるかも全くわからない。ただ世の中にはそういう形態の店が増えていたし、それならきちんと会社組織にして取り組んでみようと、昭和53年に早野商事が誕生したわけです。テイクアウトのお寿司のお店も、50件近くまでフランチャイズで増やしましたが、7坪や10坪で商売をやれると聞いて、簡単な気持ちで入ってくる人が、そこそこに仕事をして、結局お客様が段々来なくなる… いろんな店でそういう現象が起きてきたんです。本部の社員たちの生活を、フランチャイズの利益でまかなっているようではダメだと私は感じました。私も含めて、社員たちの生活は社員たちで働いた成果で守っていかないと、と思い、フランチャイズのテイクアウト寿司からチェーン店の回転寿司へシフトしました。
 ところが、回転寿司で成功しているのは、海のない県がほとんど。千葉は海に囲まれていて、下手をすれば知り合いからタダで新鮮な海産物がもらえるんです。だから高い寿司屋にわざわざ行こうとは思わない。そのせいか、今、海のある場所の回転寿司で盛り上がっているのはグルメ回転寿司と称して、ちょっとグレードの高いものを出すか、ひたすら安さで勝負するか、どちらかしかないんです。うちは3つの漁港の入札権を持っているので、安くておいしい素材を入手できる強味はありますが、本当に難しい業界です。

‥‥‥グループ全体としては、どういう方向に向かったのでしょう?
 1つの業種だけに絞って商売していると、経済情勢が変わった時につぶれる可能性が高くなってしまう。いろいろな業態を持っていれば、例えば景気がいい時にはこの店が売れる、景気が悪い時にはこの店で盛り返す、ということができます。そこから、居酒屋風の鶏肉料理の店、高級感を持たせた海鮮料理の店、ファミリーで楽しめるとんかつの店… といったように多角的に展開していれば、多少経営が思わしくない店が出ても、他がカバーしてくれるわけです。
 私は自分を信じています。自分が物指しであり、万が一、失敗したらみんなに責任を取ってもらうのではなく、この自分が責任を取って、みんなを守れる生きざまであらねばと思っています。そのためには、自分自身の目でいつも把握できる範囲で商売をやらないといけないんです。やみくもに広い範囲に店を出しても、自分で確かめられない。だから、この千葉市周辺に出店していったわけです。そうなると、同じ業種の店を限られた範囲で増やしても共倒れになりますから、こうして様々な形態のお店を増やすようになりました。
 このやり方は、実はものすごく効率が悪いんですよ。1つのことに集中できれば、企画でも何でも、とことんいいものを出していけるんですが。これだけ多様な業態で、コンスタントにいい店づくりを進めるには、それだけたくさんの人材が必要だし、業務もべらぼうに多くなってしまう。その非効率さを承知で、ここまでやってきました。

‥‥‥これからの波奈グループの展望は?
 今後は、それぞれの業態の担当スタッフから、早くプロフェッショナルな人材を育てあげて、独立していってもらえれば、とも考えています。分社化して、その業態に専念してがんばってくれるような人が出てくるようになればと思います。
 いい人材に入ってきてもらうためには、それなりに名前が売れていることも大切だと思います。このような考えのもとに成田にオリエンタルレストランを手がけ、今年6月にはついに東京・丸の内に出店することができました。いつかは東京に、と抱いていた夢が、37年たってようやく叶ったわけですが、「WA-SHOKU 波奈 marunouchi-TOKYO」と称して、海鮮料理と旬の素材をシンプルに味わっていただけるお店にしました。
 7月には、仙台の駅前にも「WA-SHOKU 波奈 sendai-TOKYO」がオープンする予定です。TOKYOとつけましたのはゆくゆくは海外出店の夢を意識してのことです。具体的にはまだ未定ですが、これから首都圏には出て行きたいと考えています。

‥‥‥社員教育について教えて下さい。
 お金があれば、店は出せます。いい素材も、おいしいものも、お金さえ出せば世の中、いくらでも手に入ります。でも一番大事なのは、中で働いている人の"気持ち"ですね。寿司屋ではいい魚を売るだけじゃない。鶏屋でもいい鶏肉を売るだけじゃない。私達は、厨房やフロアで働いている、その一生懸命な姿を売っているんだ、と社員には教えています。お客様の「ごちそうさま、おいしかったよ、ありがとう」という言葉を、お客様と私たち店側のお互いの感動として分け合おうと言っています。その一環として、弊社では社員研修で吉本興業が行っている学校を利用させてもらっています。
 笑ってもらうこと、楽しませることが大事なのは私たちの商売も同じですから。寿司のカウンターは舞台であり、そしてその舞台が楽しければ、お客様は来てくれます。たとえお寿司がなくても、間違いなく喜んで帰っていただけます。楽しんで、その上、お腹も満足していただければ、それが理想ですよ。つまり、最後は店よりも、素材よりも、人間が大事なんですよ。

 
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