経  営  談  話  室 
【経営談話室 Vol.15】
 
 空へ向かって伸びゆく若葉のように…
 
         時代に挑み続ける、"心からのおもてなし"
 
株式会社 グリーンタワー
     林社長に聞く
 
 幕張新都心に林立するホテル群の中で、グループ創業50周年を迎える今年、千葉の街でより大きな飛躍を遂げようとしているホテルグリーンタワー幕張。国内外のフルマラソンやトライアスロン大会で優勝を独占してきたスポーツマンとして知られる林昇志社長に、お話をうかがいました。
 
‥‥‥若くして創業するまでの経緯を教えて下さい。
 山梨から上京した父は苦学して大学を出、事業を始めたところで関東大震災や、太平洋戦争に見舞われ、戦後開拓者として家族で千葉にやってきました。今の、鷹の台カントリークラブの場所に、63世帯が入植しました。
 私の子ども時代は、毎日荒れ地の開墾を手伝い、高校生活では、校内でパンの販売許可をもらって、購買部を作りました。女の子5〜6人に手伝わせて、私が責任者となりそこで、商売がどうすれば上手くいくかを学びました。
 卒業後、入社1ヶ月半で就職先の証券会社が、倒産。時期を同じくして、家族で開墾した土地にゴルフ場が出来ることになり、ようやく作物が採れるようになってきた畑ごと、またしてもはじき出されてしまいました。それまでの貯えで、西千葉駅前に土地を求めて移り住み、そこに広さ5坪の「みどり鮨」を開業しました。
 当時の西千葉はのどかな場所で、住宅もまばらでしたが、ファミリーレストランもデリバリーもない時代です。お客さんが来て出前を取ると言えばお鮨、という頃でした。しかし半年で板前さんの給料が払えなくなり、見よう見まねで私が鮨を握るようになりました。そんな試行錯誤の中で、いずれは売上げも規模も日本一の鮨屋に、と思っていました。同時に"いつかホテル経営を"という夢も抱き続けていました。

‥‥‥お鮨からホテル業へと展開された理由は?
 開店9年目の昭和37年、当時は結婚式といえば料亭や自宅、神社で行なうのが常識でしたが、私の時は弟夫婦と合同で式を挙げたのが、創業当時の京成ホテルでした。千葉市内に唯一のホテルで、その時「これからの時代はきっと、ホテルでの結婚式が増えていくに違いない」と確信しましてね。サービス業の頂点であるホテル業をめざそうと決意し、弟には貸し衣裳屋をやらせることにしました。
 結婚後は、妻と力を合わせて本当によく働きました。我が家は兄弟6人に両親、祖父母の10人家族。その裏手の物置きに畳を敷いた、6畳ひと間で新婚生活はスタートしました。幸いにもうちの家族は兄弟仲が良く、全員一丸となって、商売に取組み弟や妹たちは葬儀場をはじめ、花屋や設備管理会社、引き出物屋といった、ホテル経営に必要な様々な業種をそれぞれ立ち上げて、共に頑張っています。
 私も鮨屋からいきなりホテル経営を始めたわけではなく、バーにビアガーデン、クラブ、喫茶店、中華レストランなど様々なお店を手がけることで、ホテル経営に必要なノウハウを培うことになりました。調理師会などの団体を立ち上げたのも、自分でいい調理師を抱えていないと、ホテルは作れないと考えたからでした。
 そして20年前、千葉に結婚式場「玉姫殿」を立ち上げたのが大きな転機となり、念願の「ホテルグリーンタワー幕張」を平成3年にオープンしました。通常、ホテル経営においてはテナントを入れて、人まかせにするところ、うちは兄弟でまかない、他人を入れずにできるので質の高いサービスを低価格で提供できるのです。
 開拓者の時代を乗り越えて、兄弟・家族で力を合わせてきたことで、今日では、「鮨割烹みどり」を合わせて、グリーンタワー・セレモグループ全体の売上げが200億円を超えました。

‥‥‥「鮨割烹みどり」そして「ホテルグリーンタワー」を成長させた理念とは?
 「みどり」は妹の名前(美鳥さん)から取りました。この屋号のもと、グリーンタワーグループは成長してきました。今も、各オフィスには私が直筆の"心からのおもてなし"という格言を掲げています。お客様の気持ちになって、心を込めて笑顔で接するということ。社長自らお客様にご挨拶をしたり、支配人まかせにせず、結婚式場や宴会場に小まめに足を運ぶようにしています。家族、お客様、そして取引業者からの信頼があったからこそ、ここまでやってこられました。
 高校卒業後、一時プロボクサーをめざしていた時、手相を見てもらったことがありました。運命線が長く伸びていて、占い師に「あなたは世界チャンピオンになれる手相を持っている」と言われましてね。ならば、ビジネスの世界でもチャンピオンを目指せるのでは、と考えました。また林昇志という親からもらったこの名前も、字画を調べたら非常に運勢が強いそうです。ですからこれまで、どんなことにも自信を持って頑張ってこられたのだと思います。
 名前というのは個人でも会社でも大事です。緑が伸びる、という意味を込めた「グリーンタワー」、そして若葉が色濃くなってゆく様子を描いたマーク(社章)を胸に、社歌である『グリーンタワー フォーエバー』を毎朝社員みんなで歌っています。歌詞の内容は1番から3番まで、グリーンタワーの過去から現在、未来を歌っています。製作に手間とお金を惜しまず、いいものを作る。会社づくりに取り組むというのは、実はそういう部分がとても大切なんです。

‥‥‥社長ご本人がランナーであることは有名ですね。
 高校時代に、陸上を1年間やり、続けていればオリンピックを目指したかもしれない…そんな、高校時代にやり残した思いを心のどこかに持ち続け、商売をやりながら、40歳からマラソンを始めました。
 河口湖マラソンやハワイマラソンといった国内外の名のあるマラソン大会で次々に記録を樹立し、年齢別レースで何度も優勝させていただきました。現役時代は、優勝を目指して走るわけですから仕事のかたわら、それなりのトレーニングをしました。もちろん、健康に恵まれたから出来たことですが、やはり目的を持ち、それに向かって努力することに尽きます。
 以前、友人のランナー・君原くん(メキシコオリンピック銀メダリスト)からもらった色紙に書かれていた言葉が「人生にとって大切なことは、努力を継続すること」でした。良いタイムを出すためにはどうすればいいか、ホテルの経営を軌道にのせるにはどうするべきか…走ることもビジネスも、取り組み方は同じです。

‥‥‥数々のスポーツ振興や文化事業に携わっておられるそうですが?
 千葉マスターズ陸上競技連盟会長をしています。代表的なものとしては国際駅伝を千葉に誘致したり、トライアスロン協会の会長として、ワールドカップを幕張に誘致しました。日本文化振興会から社会文化功労賞というものをいただきました。あとは趣味の囲碁、カラオケなどの分野で多くの役職につかせていただいています。近年は地域振興とともに、トライアスロンのプロのアスリートを育成することに力を注いでいます。

‥‥‥未来への展望をお聞かせ下さい。
 今年でちょうど創業50年。新たに、次の50年、100年に向けての節目の年にふさわしい大事業が巡ってきました。中央区問屋町の千葉ポートスクエア内に「ホテルグリーンタワー千葉中央」が、9月1日にリファインオープンします。千葉中央港の土地区画整理事業に伴い「グリーンタワーパレス千葉」が11月で閉館となり、12月にはグランドオープンし、従業員たちが千葉中央の方に移って、竣工祝いと50周年祝いを兼ねた祝賀会を開く予定です。
 さらに、この大事業のためにちょっと実現が遅れましたが、現在のホテルグリーンタワー幕張の屋外駐車場に、新たにゴシック調のチャペルを建てる壮大な計画があります。地上14〜15階の高さまで尖塔が空に伸び、これまでの千葉グリーンタワーパレス、柏玉姫殿のものを上回るものです。1〜2階は駐車場、3階に本館と連結したラウンジとブライダルコーナーを設け、その上がチャペルと宴会場。来春、着工予定です。
 今年はいよいよ当社の正念場と言えるでしょう。しかし最近、講演では"挑戦こそ我が人生"というタイトルで話しをしております。グループ全体での躍進を目指して、これからも挑戦し続けて行きたいと思っています。

 
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