経  営  談  話  室 
【経営談話室 Vol.3】
 
 薬局経営30年の軌跡
 
有限会社 ワタナベ薬局
     渡辺社長に聞く
 
 第3回のゲストは、当所商業流通委員長、小規模企業振興委員の渡辺祚・(有)ワタナベ薬局取締役社長です。同社は西都賀の本社のほか、マリンピア店、そごうコリドーモール店、ゆみーる鎌取店の4店舗体制で販売業務を行っています。また、渡辺社長は平成12年5月に千葉市商店街連合会の会長に就き、市内79の商店会活動の先頭に立っています。
 
●空襲の後遺症、療養生活、薬学の道へ

‥‥‥薬学部をご卒業ですが、薬剤師になろうとした動機からお話いだだけますか。
渡辺:生まれは市原市八幡です。実は、小学校2年生に進級するのに、闘病生活のために3年かかっています。私が歩く時に右肩を多少下げますが、その病気の後遺症です。昭和13年生まれですが、あの千葉大空襲に遭遇しました。その時は豪雨であり、私ははしかにかかっていました。母は私をかかえて防空壕に逃げ込んだのですが、豪雨が防空壕にまで流れ込み、私を雨水に濡らしてしまいました。母は後々まで申し訳ないと悔んでいましたが、それが原因で、胸に膿がたまる膿胸という病気にかかりました。
 母の強い希望でもありましたが、この病気が薬学への道に進ませたのだと思います。私はもともと植物が好きだったこともありますが、小学校恩師の話では4年生の作文で、将来は薬剤師になると書いていたそうです。高校入学後も、私のその意志は固く、大学進学時には東邦大学薬学部を志望し、入学いたしました。昭和38年に東邦大学を卒業し、同年に大手製薬メーカーの塩野義製薬(株)に就職、サリーマン生活を始めました。その後、昭和45年8月に、現在地で開業しました。

●とにかくやってみよう、専門化に徹する

‥‥‥御社は開業から30年以上経過し、大きな成果をあげられてきたと思いますが、経営理念等をお聞かせください。

渡辺:何もかも試行錯誤の連続です。ただ、とにかく考えたことをやってみよう、その気持ちを強く持って取り組んできました。それと、専門化に徹すること、具体的には顧客と十二分に話し合うこと、この二つが経営理念という程ではありませんが、それに該当します。
 販売業務は本店の他に、昭和59年開店のマリンピア店、平成5年開店のそごうコリドーモール店、平成6年開店のゆみーる鎌取店の3支店があり、いずれも業績が好調で、ありがたく思っています。しかし、支店は合計8店舗を出店しましたが、そのうちの5店舗は閉鎖しています。それぞれの店舗に思い入れがありますので、閉店は本当に残念だったです。それにしても、開業以来30年以上も経過してしまったのか、そんな思いが現在の実感です。いままで、いろいろなことに取り組んできました。
 薬局の経営サポートを目的に、平成3年設立で私が社長を務めるエヌエスディバン(株)という会社も、その一つです。これは会員2000店を擁し、勉強会を行っている日本専門薬局同志会の組織を基に設立しています。共同仕入れや情報の提供だけでなく、もう一歩踏み込んだ形で活動しています。

●25年前のアメリカ視察が経営の転機

‥‥‥25年前のアメリカ視察が会社の方向性を決めたと、社長が以前お話されていたのを覚えているのですが。

渡辺:そのとおりです。製薬メーカー主催で、ロスアンジェルス・サンフランシスコへの研修旅行があり参加しましたが、この視察で非常にショックを受けました。多くの住民がいるはずの周辺の住宅地には、誰一人として人影が無いのに、ショッピングセンター・スーパーに行くと、大勢の人が買い物を楽しんでいることです。住宅地には、店舗の一軒も見当たりませんでした。本や話で、このような光景は漠然と知っていたのですが、目の当たりにすると本当に驚きでした。日本も近い将来、必ずこのようになると思わざるを得ませんでした。
 店の経営は世の中のニーズに沿わないと顧客の支持を得られませんので、その方向を追求することになりました。経営の転機になったとも言えます。

●開業、商店会、地元への大型店出店問題

‥‥‥さて、話を戻しますが、ワタナベ薬局を開業し、商店会長に就き、大型店問題に取り組まれますが。
渡辺:昭和45年にワタナベ薬局を立ち上げ、同48年に法人化します。この西都賀の商店街区は、かつての殖産住宅(株)の分譲地です。近い将来に薬局を開業しようとの考えでしたので、都賀駅前のこの場所を選びました。地元の市原を選ばなかったのは、上手くいっても親戚が多いから当然、反対に上手くいかなかったら大変なことになる、そんな気持ちがあり、地元は敬遠しました。
 にしつが商店会も昭和45年に会員15名位でスタートしています。周辺地域が新興住宅地化されており、商店数も増えてきたので、商店会発足の機運が出てきたのだと思います。私は3代目の商店会長に就任したのですが、ちょうどこの頃、地元に西友都賀店が出店するとの話が持ちあがり、どうすれば良いかということで大変でした。
 商店会の店も軌道に乗り始め、さあこれからとの時期でした。西友都賀店は最終的には昭和49年12月にオープンしますが、その時期はこの対応で千葉市、商工会議所、千葉県中小企業総合指導所等を訪問して、要望活動を行ったり、指導も受けました。
 にしつが商店会は対策として、「店格を持った店づくり」を打ち出しました。店舗と住居を明確に区分する、店舗面積を拡大する、自動ドアを設置する等です。私の店は店舗面積が10坪だったのですが、家そのものを壊し25坪の店舗に拡大しました。家を建てる時に父から援助を受けていたのですが、無断で家を壊したことを聞いた父が、烈火の如く怒りました。無謀といえば、無謀なことをしたものです。父は商売とは無縁の地方公務員でしたし、親戚にも商売人はいませんでした。そのような父でしたから、怒ったのも当然だと思います。

●商工会議所に育てられたという感慨

‥‥‥大型店の出店問題に奔走しておられた昭和48年は大規模小売店舗法が制定された年でもあり、いわゆる節目の年ですね。

渡辺:同感ですね。私が長年、委員をしている小規模企業振興委員制度、それに無担保・無保証人融資の小企業等経営改善資金もこの頃のスタートではないですか。その関係で、融資のパンフレットを良く商店会の会員に配布したのを覚えています。利用者が随分多く、商工会議所の会員増強にもかなり貢献したと聞いていますが。
 その頃は大型店出店の初期だと思いますが、全国各地にスーパーの出店があり地元商店会との摩擦があちこちで発生していました。全国を席巻する勢いだったスーパーの雄・ダイエー千葉店が、京成千葉駅前にオープンしたのも昭和48年だったと思います。そのダイエーが経営危機に陥り、大繁盛店だった千葉店が閉店するなんて、当時ではまったく想像もつかないことですよ。西友もアメリカのウォルマートと提携するとのことですが、本当に変化したものです。あの大規模小売店舗法も、平成12年6月からですか、大規模小売店舗立地法と名称も内容も変わり、施行されています。
 また、同年5月に千葉市商店街連合会の会長に就任しています。再構築のための話し合いが1年半にわたり行われましたが、その参加者の中で最も若かったのが私です。当時を知る人も、ほとんどいなくなってしまいました。そんなことから、平成12年も私には30年を経過した節目の年です。
 いま思うことは、私は千葉商工会議所によって育てられた人間だという感慨です。

●遠くからのお客を呼べる店づくり

‥‥‥商業者だけでなく、今日の事業所を取り巻く経営環境は、大変厳しいですね。
渡辺:そのとおりです。事業所規模の大小にかかわらず、すべての事業所にとって厳しい状況が続いています。これは、あくまでも持論ですが、「遠くからのお客を呼べる店づくり」を工夫するべきではないかと考えます。利便性だけでは、どうしても頭打ちになってしまうと思います。あの店に行こう、一度あの店に行ってみるか、そのように顧客に言ってもらえるように、努力すべきだと考えます。
 私は炒飯が大好きなので、おいしい炒飯の店があると聞くと、昼食時にも自動車をとばして食べに行きます。顧客はこだわることには時間もお金もかけます。私の店は専門化に徹するとしていますが、具体的には、顧客と販売員が徹底的に健康について話し合っています。その成果は、業績に十分出ています。

●商業流通委員会の「高校生服飾作品展」

‥‥‥最後になりますが、昨年11月に当所の商業流通委員会委員長に就任されました。
渡辺 ご指名を受けましたので、ご期待に沿いますように取り組む所存です。先般、第1回委員会を開催しましたところ、委員の皆様から何か具体的な事業活動をしようとの提案がありました。
 そこで、現在検討しているのは、県内の公立高校家政科等の生徒が授業で制作した作品を展示する「高校生服飾作品展」です。この秋に、大型店を会場に開催する予定ですので、是非とも多くの方々に見ていただきたいと思います。期待してください。

 
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