経  営  談  話  室 
【経営談話室 Vol.50】
 
 海洋国家に生まれた誇りをもって、港に生きる
 
 
「全国、全世界を結ぶ船と
  千葉の港をつなぐために」
 
株式会社ダイトーコーポレーション・天満屋千葉支店長に聞く
 
  日本全国から、そして世界各国から千葉港にやってくる船の積み荷を橋渡しする、海上の運送屋さん。その業務は驚くほど多岐に渡り、また気づかぬうちに私たちの生活と深く密着したものでした。千葉支店で港の成長を37年間見つめてきた、天満屋支店長にお話をうかがいました。
 
‥‥‥●幅広い業務の中で、メインはどういったものですか?
 
港を通過する船にまつわる様々な業務に携わらせていただいています。いわゆる船会社として当社が大きな船を持っているのではなく、港に入って来る船に対しての周辺業務ですね。例えば大きな船が港に入ってきた時、本船だけでは直接岸壁には着けられませんから曳船が必要で、すなわちタグボートを使用します。千葉港では出洲地区にタグボートが多く並んでいるのを見かけたと思います。千葉港は工業港で、工場の岸壁についた船からそのまま荷揚げしたりするので、水際は一般の方には開放されていませんから、皆さんには馴染みが薄いことと思います。港に対する親しみやすさという意味では、横浜港や神戸港と比べるとなかなか持てないのではないでしょうか。やはり管理上、またある程度危険が伴う場所もありますし、立ち入り禁止になってしまう部分は仕方がないのですが、船の積み荷は本当に様々ですよ。例えば製鉄会社の鉄製品、あるいは石油化学会社の合成樹脂、化学製品等といった具合に、工場で作られた製品を私どもが船に積む、そして海外向けなら輸出通関業務を行ないます。
 外国船を含めた外航船舶の場合、入港するためには実に様々な手続きが必要です。まず税関、海上保安庁、検疫所、入国管理事務所等の官庁への手続きです。それを船舶代理店業務として、こちらから船の方に出向いて、船長に代わってそれらの手続きを行うわけです。それを船長さんが1人でやるのは、外国人なら言葉の面でも大変ですし、不案内な訳ですから専門の業者が必要なんですね。私も入社後20年程そういう部署にいたのですが、どこの外国の船でも公用語は英語なので、業務には英語が必須です。その頃、語学の才能を買っての人材確保は特にしていませんので、入社後の研修や、あるいはぶっつけ本番、現場に出されて仕方なく(笑)、必要に迫られれば勉強しろと言われなくても覚えていくものです。




‥‥‥●港での業務に、女性の登用はありますか?
  千葉支店は市原事業所と合わせると社員は50名前後、派遣の方が10名程で、女性は基本的に事務で活躍してもらっています。もちろん業務の上では男女平等なのですが、やはり現場では、ここから先は男性、という線引きはありますね。沖に停泊している本船には小さなボートで沖まで行ってタラップを駆け上がるんです。ですから体力も必要ですし、天候がいい時ばかりではありません。危険を感じる時もあります。したがって、どうしても男性の職場になってしまいます。とにかく安全第一に努めております。相手は海という自然ですから、荒天時には本船を岸壁に着けられないこともあり、スケジュール通りに荷役作業が行なえず、この様な時が一番困りますね。



‥‥‥●海上防災の部門がありますが?
  今、力を入れている部門です。海は世界につながっていますから、船から油が流出したり、また石油・ガスなど危険物を扱う工場で万が一のことがあると大変です。それらを想定して、船の方でも工場の方でも万全の対策を取っていますが、それでも何かの拍子に事故が起こる可能性もある。しかしオイルフェンスや回収ネットを張ったり、消火作業をするための設備をそれぞれの会社で準備するのは大変ですから、共同の目的で使うことを前提に、通常業務用のものと合わせて、防災艇9隻の他消防設備を備えたタグボートを3隻用意しております。何かあればすぐに出動できるよう、通常業務と合わせて当社で委託管理しているのです。タンカーから油が流出するような大事故は滅多にありませんが、ちょっとした事故は結構ありますので、船社や海上保安部からの要請を受けて出動しています。この様な事態の為、法的に各船は運航前にきちんとP.I.保険に入ることが義務付けられております。それを我々船舶代理店業務の中で確認し、関係官庁の手続きを行い、始めて入港が許可されます。ご存知のように我が国はあらゆるものを外国から輸入しています。食品、衣料、資源それらの中には、飛行機で運ばれるものもあるでしょうが、ほとんどは船です。それだけ密接に、我々の暮らしに関わっている。また、海洋環境保全の意味からも防災業務は大変重要です。



‥‥‥●2007年問題はいかがですか?
  例年全社で12〜13人ほど、新入社員を採用していますが、今後3年間で団塊世代が数十人、辞めていくことになっていて、今年から再雇用制度も始まりました。今の60才はまだまだ元気ですし、当社のような特殊な業界は、この仕事に長く携わってきた人しか出来ないことも多く、一人前になるのに4〜5年かかります。社内には商船大学を出て、海技免許を持つ者も多くいますが、動かすこと自体はもちろん、船に関わるあらゆる仕事があり、荷役作業を行うにも船舶構造などの専門知識が必要です。私自身、大学は経済学部出身ですから、入社当時は船体名称から叩き込まれて、英語と一緒に覚えるのは大変でした。ですから、できるだけ団塊の世代に再雇用で頑張ってもらって、その間に何とか若手を育てていき、バランスをとれればと考えています。



‥‥‥●支店長は千葉港の変遷を見てこられたわけですが
  
昭和26年、当時の川崎製鉄が千葉に進出した時、製鉄所で扱う石炭や鉄鉱石を外国から輸入し、また製品を輸出するということで、当社も東京・横浜から千葉へ進出しました。その後数年間で千葉の海沿いにはたくさんの工場が建ち、メーカーさんが出来るたびに我々の仕事も増加していきました。28年には千葉支店となり、今の場所に社屋が出来たのが平成4年です。港と共に、当社も成長してきたということですね。私は昭和44年から千葉支店におりますが、その頃は本当にいろいろな工場がどんどん出来てきた頃で、この港周辺もまだ整備が進んでいませんでした。徐々に大きな船が入るようになって、貨物の扱う品目も多様化し、コンテナヤードが出来て、近年はポートタワー周辺の公園や施設の再開発も進んでいます。



‥‥‥●支店長がこの仕事に就かれたきっかけは?
  私は父が外国航路の船乗りで、戦中・戦後と、家には3年に1度くらいしか帰ってきませんでした。父親の代わりもして、1人で家を守る母は大変でした。昔は高給取りというイメージもあったでしょうが、1ドル360円の時代、外国でお金を使うのも大変な頃ですから、父も行った先でそれほどいい思いは出来なかったでしょう。横浜、神戸、小樽といった、いろいろな港に父の船が着くのですが、家に帰る程の時間は無いんですね。そうすると母は小さな私たちの手をひいて、新幹線やローカル空港が無かった時代、夜汽車に乗って父に会いに行くわけです。港には船員の寮があって、そこで炊事も出来て家族で10日くらいゆっくり過ごせました。父は朝、そこから船に行って仕事をして、その間に母は買い物に行って、食事の支度をする。一時の家族水入らずの時でしたね。今では外国航路でも3〜4ヶ月以内で戻ってこられるなど、航海期間もずいぶん短くなりました。
 私が学生の頃、父の船が横浜港に入港する場合は弊社横浜支店が船舶代理店業務を担当していました。父が横浜に着く頃に横浜支店に電話して、どの桟橋に何時頃着くかを聞いて、面会に行っていましたね。その頃からのご縁なんです。また横浜というのはロマンチックな街ですしね。船の仕事っていいなあと思って、それがこの仕事につくきっかけでした。



‥‥‥●どこの業界も人材難のようですが、海の業界はいかがですか?
  
陸上と同様に人材難ですね。実は今、外航船に至っては日本人の船乗りはほとんどいません。日本人だけの船は無くなり、船員の多くは外国人ですし、日本国籍の船なんて100隻無いんですよ。もちろん、海運業も競争の世界ですから船員費の問題もあります。また外国航路の場合、若い人達には長期間家を留守にし、家族にも会えない仕事なのに、時代が変わるにつれ陸で働く人との収入の差が無くなってきたこともあったのではないでしょうか。
 さらに海運業界不況時、船員を養成する学校の卒業生が船の業界に採用されず、他の業種に流れてしまって、若い人が途絶えた空白の時期がありました。そして景気が上向いた今、船の仕事をしたいと新たに業界に入ってくる若い人がいても、すぐに現場で活躍できるわけではなく、一人前になるには時間がかかる。日本だけでなく、今は世界的に船員不足になっています。我々の業界でも同じ状態です。日本はそもそも島国で、海洋国家。古来から海外との交流は全て船で行なわれていたにも関わらず、外国船籍で外国人が乗っている船に取って変わってしまうというのは、日本人として残念に思います。これから先、我々の業界を含め海の仕事を志す若者が増えていってほしいと思いますね。
 





 
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