経  営  談  話  室 
【経営談話室 Vol.52】
 
 社長でいられることに、日々感謝したい
 
 

「先代と築き上げた、
  社員という財産が“奥山ブランド”」


 
株式会社奥山・奥山社長に聞く
 
  千葉県における養生クリーニング分野の草分け的な存在として成長を遂げ、建築材料販売・建築仕上げ材養生工事・ケレン・仕上美装工事業務を手がけて32年。建築設計・施工・施工図作成業務を取り入れて17年になる株式会社奥山。2年半前より先代の遺志を引き継ぎ、女性ながら建設業界の只中で奮闘する奥山社長にお話をうかがいました。
 
‥‥‥●創業時は不動産業だったそうですね?
 
昭和49年、市原市五井で株式会社奥山不動産として、もうこれ以上は悪くならないだろうという不景気の中、夫婦2人でのスタートでした。最初は建て売り住宅を販売したんですがなかなか売れず、本当に何ヶ月も、1銭も入ってこないんです。それでも何とか不動産業を続けるために自動販売機の代理店を始めて、2人で補充に廻ったりもしました。やがて縁あって、建築資材の販売をするようになります。現場の工程でいろんな業者さんや職人さんが出入りし、仕上がっている部分の汚れやキズを防ぐために施す養生の資材、それを剥がした後、きれいにする作業をクリーニングといいますが、養生材料を扱ったのは当社が千葉県初でした。その後、昭和51年に千葉の黒砂に移り、資材の販売だけでなく養生クリーニング施工も行なうようになります。幕張新都心の建物の約半分を当社で手掛け、その頃から何とか利益が出るようになり、主人は文化交流として中国に視察に行って、人脈を築いていきました。中国人技術者を日本に呼び、奥山の設計技術者として中国に派遣するため、彼らを指導する一級建築士と通訳も雇って平成2年から研修と教育を始めました。また、当時はまだ手書図面が大半の時代でしたが、かなり早い段階でCADを導入し、パソコン、ソフトウェア、プロッター等、一式合わせると何百万円もしましたが、前社長はそれもどんどん導入して、人材を育てていきました。そしてゼネコンの現場に施工図技術者として派遣できるようにしていったんです。こんなにお金をかけていいのかと思った時期もありましたが、その先行投資が後になってものすごく生きてきたんです。




‥‥‥●建築不況はどのようにして乗り切ったのですか?
  バブルが弾けて、未曽有の建築不況を何とか乗り越えようとしていた大変な時期に、中国で花が開きました。平成7年に中国の会社との合弁で上海奥山を設立し、現地で日本企業が施工する大型物件のお仕事を日本で契約を取ることが出来たんです。本当に幸運でした。今でも日系企業の方が「あそこに住みたい」と言って下さるような、素晴らしい建物の施工を手掛けることが出来ました。当社は順調に設計部門も伸びて行き、一級建築士事務所登録し、社内の施工図作図はもとより、個人のお客様から設計の案件も受け、自社による設計施工も手掛けられるようになりました。会社としても事務所を移転するたびに大きくなって、社員や協力業者さんの数も増えていきました。主人が亡くなった年には派遣業の許可も取り、現在は建築現場の施工管理者の派遣も行なっています。



‥‥‥●先代を亡くし、社長職を引き継ぐにあたってご苦労も多かったのでは?
  主人は趣味もお友達も多く、本当に優しい人でした。主人が築いた基盤、主人が引いてくれたレールの上に、今、私や社員たちが乗っかっているわけですから、今も毎日、主人に感謝して「今日1日、工事現場で事故がないように、設計部で作図ミスがないように」と、朝に晩に祈っています。すごく守られている気がしますね。
 会社を興して32年、だんだん社員が増えていく中で、いつも「ありがとう」、常に「あなたのことを心配していますよ」という感謝の気持ちを持つようにしてきました。人を“使う”よりも“育てる”、経営者の方も一緒に育っていこうという気持ちです。主人が亡くなった時、たぶん社員はすごく不安だったと思います。けれど常に元気で明るく「大丈夫だから安心してついてきてほしい、絶対負けないから!」とアピールしてきました。私に出来ないことをやってくれているんだから本当にすごいと思います。実は主人の生前は心配でまかせられず、どうしても社員に口出ししてしまう自分がいましたが、社長になってから、そんなことしていたら疲れてしまう、1人の力なんて限られているんだから「もういいんだ、社員の皆にまかせよう!」と実感しました。「もうあなたにお願いします!まかせたわよ!」と言うと、社員も実際に応えてくれるんですね。



‥‥‥●建設業界という男社会で、女性ならではの難しさはありますか?
  主人が亡くなる時、もっといろいろ教えてもらっておけば良かったんですが、3つだけ言われたことがあって、1つは心がぶれないこと。経営者が迷っていると社員がどうしていいかわからなくなるからと。2つ目はちょっと地味めにね、と(笑)。私はもともと派手好きなので、公の場に出て行く時は抑え目にと。3つ目はどんなところにも出かけていくように。ゼネコンさんの行事、講習会、新年会、忘年会、ゴルフと、大体どこに行っても男性ばかりで女性は私ひとりなのですが、主人の言う通り出かけるようにしました。そうするとだんだん皆さんが気を遣って下さったり、親切に声をかけて下さるようになる。最初はどう振舞っていいかわからず、気を遣っていましたが、今では「よく顔を見せるね」と言われるまでになりました(笑)。



‥‥‥●社員教育で心がけていることはありますか?
  
社員には「現場であなた達が毎日、毎日、少しずつ積み重ねていく努力が、営業をしているのと同じことだから」と繰り返しています。景気は上向きと言われますが、建設業界にはまだまだ波及しておりません。要求される品質、コスト、安全面、全てに厳しくなった上にスピードを求められ、徹夜しようが日曜返上だろうが、とにかく工期に間に合わせなければいけないので、社員も、協力業者さんも本当に頭が下がる程、頑張ってやって下さっています。その支えがあるからこそ、今の奥山がある。工事部も設計部もそれぞれの部署、それぞれの場面で自分の持てる限りの力を発揮してくれている。私は全ての現場にしょっちゅう行けませんから、毎月のお給料明細に私の考えていることを盛り込んだ通達を入れています。私が社員の皆さんに対していつも感謝していること、安全や身体には気をつけてほしいこと、仕事の上で注意してほしいこと…。私自身は経理がわかるくらいで、養生もクリーニングも出来ませんし、図面も引けません。社長職について2年半、全てを信頼してまかせられるいい社員がいてくれるおかげで、近年は首都圏一円に、養生クリーニング・施工図の“奥山ブランド”が根付きつつありますし、ホームページを見てのお問い合わせも増え、幅広いお客様から発注をいただくようになりました。よく人、物、金と言いますが、私は人、人、人。人と人の繋がりが一番大事だと思います。



‥‥‥●息子さんも経営に携わっていらっしゃるとか。
 今31才になる一人息子が生まれたのは、主人が独立して1年後くらいの一番大変な時期でした。100円のケーキも買ってやれない頃もありましたね。息子は常務として、特に中国の方に力を入れたいようで、私が年4回、上海に行く時には必ず同行してもらっています。主人は生前、息子には「継がなくていいよ」と言っていたので、息子はアメリカに留学して、向こうの商社で経営コンサルタントをやりたかったようです。4年間のビザを取得し、もう少しでMBAを取得できるという時に主人が病に倒れて、呼び戻しましたが、彼にとって建築関係は畑違い。本人としては心残りや葛藤もあったようですが、経営学を極めようとしていただけあって、会社にとってはありがたい人材です。息子には10年かけて奥山を引き継いでもらいたいと考えています。でも私は仕事が好きなので、出来れば生涯現役でいたいですね。




‥‥‥●今後の展望をお聞かせ下さい。
 近い将来、不動産関連の仕事や戸建て住宅を手がけたいというのと、少しずつリフォームの部門に力を入れています。そして夢のまた夢で、欲張りかもしれませんが、CADの学校を作りたいんです。優秀な人材を育てて、社員として頑張ってもらうことも出来ますし、社会貢献にもなります。すでに評価をいただいている施工図部門のレベルアップにもつながると思います。
 養生やクリーニングをはじめ、現場で働いている人って本当に大変です。夏は暑いし、冬は寒い、厳しいけれど尊い仕事です。ですが施工図技術者がいなければ建物を建てることは出来ませんし、その尊い仕事の成果を引き渡すことも生み出すことも出来ません。さらなるプロ集団「奥山」を目指すため、工事部も設計部もプロの誇りを持って、しっかり活躍できるようになってほしい。そのためにも、これから5年、10年先、今日より明日、明日より明後日に向けて、成長していきたいと思っています。社長でいられることに感謝しながら…。




 
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