経  営  談  話  室 
【経営談話室 Vol.54】
 
 暮らしになくてはならない必需品を、今までも、これからも
 
 

「地域とともに
  エネルギーを見つめて1世紀」


 
株式会社堀江商店 堀江 亮介社長に聞く
 
  南房総千倉で創業したのが明治40年。「曲がりなりにも他人に迷惑をかけずに、独立企業として存続していられること」をこの節目の春に、ひたすら感謝の言葉に換えて次の100年へと歩み始めた堀江社長にお話をうかがいました。
 
‥‥‥●創業100年。社長は何代目にあたるのですか?

 創業は千倉町で、祖父が雑貨を扱う個人商店として始めました。私の父、父の弟、私の母へと受け継がれ、私で5代目になります。お陰様で今年4月17日をもって100周年を迎えます。現在100周年記念誌や、100年の歴史を映像で記録したDVDを編集中です。なお4月25日にはささやかながら感謝を申し上げる会を予定しております。


‥‥‥●先代から会社を受け継がれた頃のエピソードなどお聞かせ下さい。

 父は厳しい人で、少年時代の私にとってはかなり煙ったい存在でした。2代目は、父親であるという以上にかなり偉大な存在だったと、子ども心にも感じていたんです。常に社の先頭に立ち、営業の拡大に奔走していたので毎晩帰宅は夜中です。何日も父の顔を見ない時がありました。学校から帰ってきて、仕事で忙しい父親が家にいると何かしら叱られるのが怖くて「今日、お父さんいない?」なんて母親に聞いたりしたものです。しかし私が中学に入ってすぐ、ちょうど少しだけ父親という存在がわかりかけてきた頃に父は亡くなりました。その後、母は残された社員に、いかに自ら力を出してもらうか、自主性を重んじることにいつも心血を注いでいましたね。独立採算で各々が頑張って行くというやり方を採用し、自分が表立って営業をするようなことはせず、マネジメント部分をずっと担当していましたが、女手ひとつで私と妹と弟を抱え、苦労もしたと思います。私が社長に就任したのは昭和56年、数え37才の時でした。第2次オイルショックの直後で、あまり景気も良くなかったのを覚えています。石油が高騰し、エネルギーとしての競争力が無くなってから、また急激に下がって使いやすくなっていく混乱の時期でした。


‥‥‥●近年はガソリンステーションの競争が激化していますが?

 私は石油協同組合の役員もやっていますが、かつて石油小売業というのはその地域地域での地縁的な商売で、資本だけを投入して地縁に取って変わるというのが難しい商売だったのです。ところがここ数年の間にセルフという業態が普及してきて、悪く言えばセルフ給油所は大型の自動販売機のようなものですから、大資本にも出来る商売に移行してしまった。つまり石油会社同士の競争が、末端の小売マーケットのところまで浸透してしまうようになった。大資本の子会社ですから、先ず資金的に行き詰まることはないんです。普通の商売だったらとっくに辞めてしまうような赤字でも、いつまでも競争マーケットの中に生き残っていく。そんな中で、その地その地の油屋さんが今、そのあおりを受けて苦境に立たされている。店が古くなったから、後継者がいないからと閉めてしまう。果ては、競争してみたものの負債を抱えて倒産してしまう。平成8年に当社は給油所部門を分社する際、日本石油と合弁の日石レオンを設立しました。


‥‥‥●風力発電にも取り組んでいるそうですね。

 いつまでも石油に頼るだけでなく、新しいエネルギーに目を向けることも不可欠です。当面は風力発電部門で、自然エネルギーの普及拡大の一端を担っていける企業でありたいですね。今はまだ銚子で1基、定格2,000kW分が稼動しているに過ぎませんが、一般家庭の消費電力約1,000軒分を賄える規模に相当します。発電した電気は東京電力さんに買い取っていただいています。今後はもう少し規模を拡大していく予定ですが、1基に4億円もかかるので今の当社の規模では大手の商社さんのようにいっぺんに10基も20基も設置することは出来ません。それに対してどれだけ儲かるのかと、よく尋ねられますが、儲かるものではありません。エネルギーサプライ、特に電力供給は我が社にとっては夢の領域です。損をしない程度なら良しとして、とにかく取り組んでいきたい。自分の会社が建てた風車が今日も回っていて、その電力で灯りのともる家庭がいくつもあるということ。それが、すごくいいなあと感じるんです。



‥‥‥●石油が今後どうなるかは世界中が注目していますが?

 昔から何年後には石油が枯渇すると言われてきましたが、実際には枯渇する前に価格が上がり過ぎてメインエネルギーとしての座を追われ競争力が弱くなっていくでしょうし、環境の問題から見ても石油エネルギーには制約が発生していくでしょう。日本ではまだまだバイオエネルギーなども割高ですし、今後伸びていくのは世界各地に豊富な埋蔵量が確認されている天然ガスだと思いますが、これは1つのプロジェクトが1,000億円単位という、よっぽどの大企業でないと参入できないビジネス。これが石油の代替エネルギーとして需要が伸びて行くと、当社にとっては困ったことですが…自動車ガソリンの需要も一昨年くらいから微減に入りました。今後はハイブリッドカーなどがますます普及し、やがては燃料電池が実用化されると思います。空気中から酸素を取り込み、水素と反応させて電気を取り出し、出来るのは水分ですので排出ガスは出ません。かつて電卓が出来た頃、大きくて高価でした。今やどんどん小さく安価になっていき、誰もが手軽に使えるようになりました。同じように、現段階では実用までには大部時間がかかりそうですが、新しいエネルギーもあっと言う間に普及してしまうかもしれません。環境に対する効果やエネルギー効率に優れた新しいエネルギーが登場し、普及していく流れに、我々としては乗り遅れないよう努力していくつもりです。実は社員6名の自宅に燃料電池の機械を設置して、すでに自家発電を実験してもらっています。サイズは思ったよりもコンパクトですが、今はまだ大変高価な装置です。でも便利で良いもの、ご家庭に役立つものなら取り入れていきたい。我々は灯油にしろLPガスにしろ、エネルギーを扱う商売ですから。これからは石油だけでなくエネルギー全般を手掛ける「総合エネルギー会社」として地域の皆様のお役に立ちたいと思います。


‥‥‥●エネルギー以外の部門はどういったものを扱っていますか?

 建材部門では、戦後すぐに衛生陶器や防水材などを手がけ、左官材料などを中心に主に木更津で建材を扱っておりました。昭和27年にセメント業務を始めましたが、その後、住宅というものが工業製品化する中で大工さんや左官屋さんといった職人さんが資材を買わなくなっていき、一般住宅建材の販売はずいぶん少なくなりました。現在は主として道路工事などに使用する舗装タイルやセメント、造園資材などを扱っております。


‥‥‥●社長の今後の目標をお聞かせ下さい。

 私自身、決して商売は上手くないんですよ。社員とカラオケに行った時に「うちの社長も、歌くらい商売が上手けりゃなあ」と言われたくらいです(笑)。先人・先輩たちがそれぞれの時代に努力し、また4代目のようにマネジメントに身を捧げて、どうしたら皆が力を出せるだろうかと真剣に考え抜いてくれたおかげです。私はと言えば跡継ぎでここまで来させてもらったようなもので…当社は本当に肝心な時、節目節目で非常に運が良かった。まず初代が石油という、大変商品寿命の長い商売を始めてくれたこと。それから昭和初期にご縁あって木更津に進出できたこと。それが会社にとっては発展の基となり、戦後セメントやLPガスを手がけるなど新たな一歩を踏み出すタイミングを逃さずにやってこられた。思えば初代も2代目も戦争に行き、九死に一生を得て復員出来たのも大変な幸運でした。それとお得意様、取引先、株主、隣人や地域の方々、そして社員ひとりひとり、皆様のお陰です。あまり気もきかなければ融通もきかないような会社を、よくもここまで「堀江さんのところはそれでいいんだよ」と贔屓にして下さった。地味な田舎商売ながら100年もやって来られましたと、1軒1軒頭を下げてご挨拶に伺わなければいけないのが本筋なんです。今後は何はともあれ会社を潰さないこと、他人に迷惑をかけないことです。これから先も皆様に感謝し、皆様を大切にしたい。ただただそれだけを胸に、次の100年に向かって確実な歩みを進めてゆけたらと思っています。


 
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