経  営  談  話  室 
【経営談話室 Vol.56】
 
いつかその包みを開く人のために…

「“包み”そして
 “運ぶ”ことに
思いを込めて」

 
インターパック株式会社 小林 正明 社長に聞く
 
  スーパーマーケットや小売店で誰もが目にする食品トレー。さらには店舗のバックヤードで求められる50,000点ものアイテムで、食品流通を支えるインターパック株式会社。エピソード満載の草創期のことなど、小林社長が赤裸々に語って下さいました。
 
‥‥‥●証券マンから転身されて会社を興したそうですね?

 私は富津市佐貫で生まれました。木更津高校を卒業後、東京・銀座のデパートに就職したのですが、1週間くらいで嫌になってしまって(笑)。それでも3年くらい我慢しましたが、結局は退職し、縁あって駒澤大学に9月から中途入学したんです。3年半で何とか卒業し、証券会社に入社しました。ここは性にあっていたんでしょう、給料は同期の中でもトップクラスでした。会社を始めたのはちょうど私が30才の時。当時、包装材メーカーに勤務していた4つ年下の弟が独立を志したのがきっかけです。これからは石油化学製品、プラスチックが伸びて行くだろうと、時代を先読みしての起業でした。昭和43年、京葉道路が出来たての頃で、会社の名前は「京葉デラップス」。私と妻と、弟夫婦の4人で、船橋の薬円台に自宅を兼ねた小さな事務所を借りての出発でした


‥‥‥●創業当時にはいろいろエピソードがあるとか。

 あの頃はまだトイレも水洗じゃなくて、東京育ちの女房が嫌がってね(笑)。通りにバスが通るだけで部屋がガタガタ揺れるような建物でした。しかも電話の回線がまだ薬円台まで廻ってこない。仕方なく3軒隣の家の電話を借りて、かかってくるたびに呼びに来てもらって。いかにもオフィスが広い会社のようでした(笑)。こっちは営業先に「全国一大きな会社です」と触れ込んでいる以上、「電話も無いのか」と言われては困るので、終いには秋葉原で電線を買って来て弟と電柱に上り、自分で電話線を繋げましたよ(笑)。創業の翌年には船橋の市場に出店しました。何とか出店させてもらうため市役所に随分通って、市から調査に来てもらったのですが、会社を素通りされてしまうんです。看板も自分でベニヤ板を買って来て描いて、素人芸で取り付けたので、下から見えにくい角度だったんですね。市場でも目立つためにと、まず全員でパンツ一丁になって、体中に「特売」とか描いた黄色い札を貼り、手には社名を入れたタオルをいっぱい持って、市場中のお店に配って歩く。せりをやっているお客が皆、こっち向いちゃって(笑)、商売の邪魔だから「出て行け」なんて言われました。しかも市場が何ケ所かに分散していた頃で、JRの駅前、今ヨーカドーがあるあたりまでパンツ一丁のまま歩いて移動です、通勤客の目の前を(笑)。さすがに恥ずかしかったですね。
 何しろ丸っきりのスッテンテンで始めて、お金もないし信用も何もない。ただ弟の営業が上手で、お客さんはいっぱい取って来てくれた。おかげで今でも日本全国、関西や九州にまでお客さんがいるわけです。ところがメーカーが信用してくれない。売れれば売れる程大変でしたが、弟も私も細々とやるタイプじゃないから、商売としては予想以上に早いペースで伸びていった。やっと電話を引いたから、取引先からの電話を取ると、ちょうど私も弟も子どもが生まれたばかりで、事務所の片隅にベビーサークルを半分に仕切って、うちの娘と弟の娘を入れておいたんですが、中で掴み合いのケンカをして、その泣き声が受話器越しに相手にも聞こえる始末(笑)。それが当社の草創期でした。



‥‥‥●会社が成長する中で、扱う商品も増えていったのですか?

 波乱万丈な草創期を経て、私が今でも自慢出来るのは、エンドユーザーのトップと密接に繋がっていると自負できることです。業界の中でも、全国で一番いいユーザーを持っていると誇れます。現在、取引が多いのはミニストップさん、ゼンショーさん、日本ハムさんなどです。弁当やサラダ・寿司などの容器やトレーといった包材から、紙コップ、ナプキン、コースター、さらに包丁・まな板・調理場で履く長靴といったものまで約5万アイテムを扱っています。販売先もスーパーや百貨店だけでなく、農業・水産・畜産・外食産業など多岐に渡っています。パッケージングとともに必要な商品を必要な時、必要な数だけ運ぶためのシステムとして、コンピュータによる在庫管理制を徹底し、その全国ネットワーク化にも取り組んでいます。


‥‥‥●社員教育についてはいかがですか?

 特別に教育というほどのことはしていませんが、今の若い人は活字を読まない。これはいけないことだと思います。テレビやインターネットに慣れ過ぎてしまって、最近は駅の売店でも新聞・雑誌が全然売れないそうですね。メディア(映像)だけに執着しすぎると、人はだんだん活字を読む事は愚か書く事すら出来ない人間になりかねない。社会人として最低限の読み書きの本質を出来る様に教育する事を心掛けています。



‥‥‥●今後の展望をお聞かせ下さい。

 今、我々の業界も転換期を迎えています。生き残っていくには、会社のスケールの大きさが問われるでしょう。主たる販売先である外食産業やスーパーなど食品小売業界の急激な統合再編によって、食品包装資材業界も販売競争が激化する一方です。今後、事業の継続と発展を図るには、経営の効率化と企業価値の向上を進めていくしかありません。年商1千億がボーダーラインだと思っています。中小企業が生き残るのは容易なことではありません。否応なしに企業淘汰の時代を迎えているのです。
 包材というのは、何かと後回しにされる産業です。お店はまず、店頭に商品を並べることを最優先する。そっちが先ですから、我々への支払いはどうしても後になる。単価が低い上に回収が遅れれば、何千万円という損害になってしまうこともある。うちも随分それで苦労しました。しかしこれは防ぎようがない。業種によっては保証金制度を採用している会社もあるようですが、売り手市場ならともかく、我々の立場でそんなことをやったら「それなら他で買います」となってしまう。だったら、その“他”がなくなるようにすればいい。一緒になって資本参加させてしまわないと、永久に解決しない問題です。もちろんこれは理想案で、なかなかそう上手くはいきませんが、例えばどんな業界にもあるかと思いますが、取引先への社員の無料奉仕、それも長期間が当たり前となっている現状を考えると、力のない企業では到底社内の労働力を維持できません。06年には大手軽包装材専門商社である「静岡産業社」、東京の「みやこひも」、そして当社の3社が「包括的業務提携」で合意し、共同出資で新会社「株式会社アイムス」を設立しました。現在は将来の合併を視野に入れて準備を進め、いずれは上場を考えています。
 「包む」ということは、包む内側と外側を、同時に大切にするということです。内側は商品、外側は商品を買っていただくお客様。1枚の紙、1個の箱、1つのパッケージを通して、商品とお客様を結ぶことこそが、「包む」ということではないでしょうか。設立40年を迎えようとしている今、この時代だからこそ、どんな世の中になっても、大切なものを大切なひとのために包み込む、という思い、その情熱を持ち続ける会社でありたいと思っています。

 
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