経  営  談  話  室 
【経営談話室 Vol.60】
 
菓匠として、美味しさを届けたい

「手造りならではの変わらぬ味に、
          真心をこめて」

 
有限会社つる本 山本 勝 会長・山本 芳久 社長に聞く
 
  どっしりとした栗が丸ごと1粒、白餡に包まれた、誰にも愛される素朴な美味しさ。千葉に銘菓「つる本の栗」あり。その誕生秘話と、実直な和菓子職人としての思いを、山本会長と2代目・山本社長のお2人にうかがいました。
 

‥‥‥●創業当時のことを教えて下さい。

会長「私は岡山で生まれ、新制中学の2期生なのですが、学校を出てすぐにこの道に入り、神戸で7年、東京で8年、修業を積みました。やがて千葉で「かわしん」の立ち上げを手伝わないかと、工場長として呼んでいただき、そこで13年程働いてから独立しました。昭和48年、東本町に10坪の店を借りて創業したのですが、その大家さんが本当に素晴らしい方で・・・家内と私、パートさんのたった3人でのスタート時に、いい方に巡り会えたかそうでないかで、その後が全然違ってきたと思いますね。「つる本」の名前の由来は、照れくさいのですが、母親の名前「つる代」です。私は早くに父を亡くし、苦労をかけたおふくろが元気なうちに店を出したかったんですが、間に合わなかったんですよ。それで申し訳なかったという気持ちで名付けました。平成2年、鶴沢町に移転後は、鶴沢のつるに山本の本かと、よく言われますね」


‥‥‥●社長は家業を継ぐことにどういった想いがありましたか?

社長「両親と、私と家内、そしてパートさん1名と、5人だけの小さな会社です。現在、私とパートさんとで工場を担当し、朝の3時から仕事をしています。体力には自信がありますが、工場は真夏の炎天下より暑いんですよ。でも、家業を継いだのは自分にとっては自然な流れでした。いつも忙しく働く親の姿を見てきたので、ひょっとしたら役に立つかと大学は政経学部の経営学科を選び、卒業後は2年弱、兵庫の和菓子店で修業しました。3人1部屋の住み込みで、3時、4時に起きて工場へ。夕食は社長の家でいただいて、帰って寝る。丁稚のような生活でしたが、技術を学ぶ以前に“働く”ことが身につきました」

会長「他人様のところで飯を食うとよく言いますが、それだけのことはあったと思っています。先方には本当にお世話になり、ご迷惑もかけたでしょうが、やっぱり、後を継いでくれるとわかった時は嬉しかったですよ」



‥‥‥●つる本の代名詞、「つる本の栗」のデビューはいつ頃ですか?

会長「創業の年の秋です。当初はお饅頭からお赤飯まで10種くらい扱っていました。間もなく、近所に大きなスーパーが出来て、質よりもボリューム優先の和菓子が安く、バラエティ豊かに売られるようになって、それと競争していくとなると、損得はもちろん、職人としてのプライドもありましてね。ならば量販はスーパーにおまかせして、つる本にしかないものを提供していこうと、品目を4つだけに絞り、以前から構想として持っていた、栗を1粒丸ごと入れたお菓子を作ってみたんです。私が独立前に工場長を務めていた時は量産がテーマで、商品開発の時点で二重手間のかかるものは作れませんでした。その当時から、私の中ではもっと手間をかけたものを作りたいという思いが膨らんでいたんです。手が混んでもいい、「これは旨いぞ」と言ってもらえるものを・・・と生まれたのが「つる本の栗」です。確かに手間はかかります。せがれは“こんな大変なものを作ってくれて”と思っているかもしれませんが(笑)、お陰様で発売と同時にものすごい人気となり、“行列の出来る店”の元祖だったかもしれませんね。うちでは宣伝は一切していませんから、これはもう本当に、支えて下さる皆様のお陰です。うちの一番の宝は、何よりお客様ですよ」



‥‥‥●厳選した天然素材を使う難しさはありますか?

会長「どら焼きに使う小豆も産地によって、例えば北海道と青森でも、津軽海峡を渡るだけで粒子の肌理が違い、味も変わります。うちでは、山間部で気温の変化が激しい備中の大納言を使用しています。どんな素材も“生まれた場所の味”を持っていますから、その素材をどう活かし、どう使うかも大事です。栗はもう30数年間、京都の会社にお願いしています。収穫は年1回で、天候によって不作になれば価格も高騰する。年内に甘露煮状態に加工しておいた中から、栗饅頭の芯にふさわしい品質のものを厳選しますが、1年分の量を確保するのは技術的にも、資金的にも厳しい。事業が軌道に乗って実績を積むまでは、商工会議所さんに本当にお世話になりました」

社長「栗は大きさも形も1粒1粒全部違い、それに合わせて餡の量も変えますし、芯となるものの形が様々なので、全体を整形するにも機械では難しいんです。今の時代はそれが可能な機械も出来ているかもしれませんが、大きさや形、固さや水分量なども、その機械に合わせた商品を作らなければなりません。商品の絶妙な歯応えや美味しさに合わせるには、やはり1つ1つ加減できる手作りになると思います。特に、うちの栗饅頭は栗と餡と皮で3重の手間ですから、手作りならではですね。和菓子は、量産と品質のバランスを取るのが本当に難しいです。もちろんその日の気温や湿度によって、日々、材料の配分や工程のタイミングを加減しています」

会長「材料8割、腕2割。私はそう思います。あとは、職人とお菓子との“心のやりとり”ですね。知り合いの刀匠に聞いたのですが、きちんと鞴(ふいご)を使って昔ながらに刀を打つ時は火と“会話をする”んだとか。それは言葉では表せないもので、和菓子職人もそれと同じなんですね」


‥‥‥●千葉の名産品をお菓子に取り入れる予定はありますか?

会長「千葉の特産と言えば、普通はまずピーナッツでしょう。しかし私は残念ながらあまり得意ではないんです。もともとの好物は栗、小豆、蕎麦。自分が食べて美味しさのわからないものは提供できませんから、千葉=ピーナッツというのは百も承知の上で、自分で審美眼となり、味を確かめられるものをと考えました。饅頭の中身が餡だけでなく、栗というワンクッションがあることには「箸休め」という大きな意味があります。和食でも、必ずちょっと味の違うものを間に入れる、その存在が大事なんです。というと、うちのどら焼きは皮と餡だけですから箸休めになっていませんが(笑)、あれはもうふっくらした皮と、小豆のしっとり感とでひとつのハーモニーが出来上がっておりますので、それを邪魔しないシンプルな味に仕上げてあります」

社長「私の方はひたすら、今、扱っている商品の味の継承に努めています。昔からのお客様もいらっしゃるので、変わらずに確実なものを作っていくことを心がけています。新商品の考案も必要かもしれませんが、小さな会社ですから、何かひとつ新しいものを加えるのも大きな負担です。お客様からのニーズはあるでしょうが、当分は今ある味をしっかり守ることに集中したいですね」


‥‥‥●会長の後を引き継がれた、将来の展望をお聞かせ下さい。

社長「千葉には同業で同世代の職人さんが少ないのが淋しいですね。和菓子屋が新しく出来る話を聞きませんから、うちの会長の世代が引退してしまうと、それきり廃業されてしまうのだと思います。私は今年44才ですが、この道に入って22年、まだまだ自分に出来ることを日々、精一杯こなしていくことに尽きます。ここまで親父が作り上げてきたものを着実に、壊さずに…できれば成長させていく、と格好良く言えればいいんですが(笑)、製品の質を落とさず、お客様を裏切らないように、間違いのない品物を作っていきたいですね

 
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