経  営  談  話  室 
【経営談話室 Vol.65】
 
街に、映像文化を蘇らせたい

映画という夢を売る商売
   −−
−−−その誇りを胸に

 
千葉興行株式会社 臼井 一世 社長に聞く
 
  昨年、「ショッピングモールunimoちはら台」に「シネマックスちはら台」をオープンさせた千葉興行株式会社。その歴史は無声映画の時代まで遡ります。千葉の街の文化を担ってきた臼井一世社長にお話を伺いました。
 

‥‥‥●創業当時のお話をお聞かせ下さい。

 映画館経営は私で3代目でして、祖父が東京深川の越中島で、建築材料を販売しておりましたが、大正8年千葉の蓮池に、演芸館という活動写真館を始めたのが最初です。まだトーキー以前、弁士や楽団のいる無声映画の時代で、満州事変の頃はその楽団で駅まで出征兵士を送りました。演芸館はその後、空襲時に消火活動が出来ないからと、道路拡張のため千葉空襲で焼ける前に、取り壊されてしまいました。国策ですし、私の父が警防団長だったので、やむをえなかった。そんな時代でした。
 
昭和21年頃には市川、中山、船橋、千葉、銚子など県内に8館持っていましたが、父荘一が、いわゆる井戸塀政治家で、私どもが相続した時は千葉劇場のみ、一時期は映画事業をやめようと考えたこともありましたが、現在は「千葉劇場」、10年前からはシネコンとして、富士見町に「シネマックス千葉」、茨城県稲敷市に「シネマックスパルナ稲敷」、そして昨年、市原市初のシネコンとしてちはら台に「シネマックスちはら台」、栃木県足利市に「シネマックス足利」をオープンしました。


‥‥‥●足利市からは強い要望があったそうですね。

 繊維産業が興隆した足利市には、かつて市中心部に10軒もの映画館があったそうです。しかし都市間競争で近隣都市に買い物客が流れ、6年前に市内から映画館が消えてしまいました。しかし市長も市民も、なんとか市内に文化的施設が欲しいという危機感ともいえる想いがあり、街に映像文化を、そしてにぎわいをという地元の要望に応える形で、大型商業施設内に集客の目玉として出店しました。



‥‥‥●映画産業の現況はどのようになっているのですか?

 一昨年はだいぶ日本映画が伸び,洋・邦画の比率が逆転しました。ただし実際には洋画の成績が悪かったせいで、トータル的に伸びているわけではないんです。昨年は又逆転しました。映画館は今、全国あわせても年間2000
億円程度の売り上げにとどまっています。そして残念ながら全国的に、シヨッピング施設同様、売り場面積の伸びのわりに売上が伴わないという現象がおきています。映画産業というと一見派手な、華やかな世界に見えるかもしれませんが、作品に当たり外れがあり又、年によって波があり、必ずしも安定した商売とはいえないんですね。
 今、全国の映画館の総スクリーン数は3217、うちシネコンが76%をしめています。地方はほとんどシネコン化し、過当競争が続いて、差別化をはからなければ生き残れない時代。大企業と対抗していくのは容易ではありません。千葉県の人口は全国6位ですが、シネコンの数も全国で5位です。昭和50年前後はテレビ全盛時代で、映画はもう駄目だと言われたものです。一時期映画館は県内合わせて50館を切ったこともあったのですが、今や189スクリーンに増えている。映画業界とテレビ業界が、共存共生をはかる時代となったわけです。
 昭和33年頃には国民一人当たり年間11回以上も、映画館に足を運んだことになりますが、現在は1.6回程度、まずは「映画館に行こう!」というスローガンで様々な割引やサービスを行っています。せめて年間2億人以上は来て欲しいですね。
 
現在シニア料金、どちらかが50歳以上の夫婦割引、毎月1日の映画の日、毎週水曜日のレディースデイなどは、かなりの効果が出ています。映画ファンは6回見ると1回無料というポイントサービスも上手に利用されているようですよ。


‥‥‥●シネコンの定義とは

 いわゆるシネコン(シネマコンプレックス)とは、1施設内に5つ以上のスクリーンを備え、複数の映画を同時に上映できる、複合型映画館のことです。もともとアメリカからきたもので、日本には平成5年に上陸し、以降シネコン開館ラッシュが起こって、平成17年には全都道府県へ進出しました。既存館を閉館においこみながら成長したシネコンですが、すでに淘汰の時代を迎え、各館はサービス強化に力を注ぐようになっています。


‥‥‥●新たな技術の導入なども進んでいるのでしょうか?

 昔はフイルムがセルロイドの可燃性でフイルムが切れると燃えだす恐れがあり、映画技師には免許が必要でした。でも今ではフイルムも不燃性になり、光源がキセノンランプになって安全になりましたので、技師の資格も不要になりました。

 映画は、これからもどんどん進歩して、3D(立体映画)やフイルムを使わない、電波で映像が配信されるような時代も、もうすぐそこまで来ています。ただそれにはまだ大変高価な機材が必要であり、普及には時間がかかると思いますが。


‥‥‥●映画業界を牽引するのはやはりハリウッドなのですか

 映画業界というのは、世界中どこの国でも、ハリウッドの影響を多かれ少なかれ、受けてしまいます。邦画が盛り上がるのは大変嬉しいことですが、同時に洋画が頑張ってくれないとやはり響きます。ハリウッドに良い作品がなければ、それが我々の売り上げにそのまま反映されるので、業界全体がハリウッドの活性化を願っていますが、一部のスターのギャラが膨大な額となって、映画制作費用が賄えないなど、さまざまな問題があるようです。又、かつてのように、スターが出れば必ずヒットが見込める、という時代でもなく、またそれだけのスターもなかなか生まれません。まあこれは邦画にも言えることですが。ここ数年では、宮崎アニメの大ヒットが印象に残りますが、洋・邦画とも、ヒット作のリメイクやシリーズ化が目立ちますね。
 一方で、単館系ではハリウッド以外の、ヨーロッパやアジアの映画なども上映されます。その中にはあまり宣伝費をかけず地味だけれど、大変芸術的な作品や、マニアックな作品もあります。そのような作品は、地方都市ではなかなか厳しいのですが、都内などでは根強いファンが少なくありません。



‥‥‥●社長に就任されて40年以上だそうですが。

 私は昭和27
年に臼井映画部に入社し、昭和41年に代表取締役に就任しました。千葉で生まれ育って、中学時代は学徒動員で、柏飛行場で掩蔽壕を掘ったり、国鉄の機関庫で石炭運びをさせられたり、という時代でした。授業らしい授業なんて受けられなかった。千葉の空襲のときは、越中島の東京高等商船学校へいっていましたが、情報が無かったし、まさか戦争に負けるなんて思ってもいませんでした。



‥‥‥●長い歴史の中で一番苦労されたのはどんな時代でしたか

 皆さんあまりご存知ないと思いますが、映画館の経営者が一番苦しんだのは、入場税でした。これは昭和13年、日中事変特別税として創設され、昭和26年のシャープ勧告で、150%が100%、その後料金別に100%、50%と高率が続き、利益よりも多額の税金を支払わなければなりませんでした。いわゆる奢侈税で、ぜいたく品にかける税金同様、一番的確に取りやすかったんですね。平成元年に消費税がスタートし、現状の5%になりましたが、一時は非常に苦労しました。経営者は長い間、ずいぶん泣かされましたよ。


‥‥‥●最後に一言。

 おかげさまで今、若い社員たちが大変成長してくれまして、文化の担い手としての意欲を持って、夫々に工夫を凝らし、頑張ってくれています。これからも社員一同、皆様に夢と笑いと感動をお届け出来るよう、そしてそれが又、街の活性化の一助になりますよう努力していきたいと思っています。


 
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