経  営  談  話  室 
【経営談話室 Vol.80】
 
蓮池の名をのれんに刻む本格的江戸前寿司
花街の歴史と香りを今に伝える老舗寿司店

   
 
 千葉蓮池 丸万寿司 君塚 泰規 社長に聞く
 
  かつて花街として栄えた通称・蓮池―。中央公園近くのツインビルと「きぼーる」を結ぶ細い路地に、ほぼ60年にわたり蓮池の変遷を見つめてきた一軒の寿司店があります。昭和25年創業。蓮池の名をのれんに刻む丸万寿司は、界隈にも数少なくなった花街の賑わいを知る店の1軒です。2代目の君塚社長は現在、経営者として老舗の伝統を守る一方で、蓮池の名称を残そうと活動を続けているそうです。寿司のお話と併せて華やかりし時代の蓮池の思い出を語ってもらいました。
 

‥‥‥●この店の場所は、かつて花街として知られた「蓮池」の中心地だったそうです
    が、地名は残っていませんね。

 「蓮池」というのは実は正式な町名ではなく、花街の通称だったんですよ。廃藩置県で千葉県庁が千葉にできて、千葉が栄えるにしたがって県庁界隈に繁華街が生まれ、それがやがて花街として発展してきて、その界隈が蓮池と呼ばれるようになったらしいです。

‥‥‥近くには寿司、料理屋など老舗がまだ残っています。丸万寿司さんもその一つ
    ですね。

 昭和25年の創業ですから、今年でほぼ60年ぐらいですかね。しかし、この近辺にはうちより歴史のある寿司屋はほかにもありますよ。

‥‥‥華やかりし頃の蓮池の思い出は?
 川鉄(現JFEスチール)が千葉に誘致された時代ですから昭和30年代でしょうか。私はまだ高校生でしたが、界隈に料理屋さんがたくさん並び、大勢の芸者さんが行き来していたのを覚えています。若い芸者さんもよく見かけました。実はこの店の敷地には昔、芸者さんの予約・派遣を取り仕切っていた見番(けんばん)があったのです。若い頃、店の二階に行くと三味線に合わせて芸者さんが稽古している姿が見えました。窓から見ていると怒られたものです。高校を出てから4年ほど料理の修行に出て、ひさしぶりに帰ってきた時にはもう、以前のような華やかさはありませんでしたね。たしか、東京オリンピックが終わった頃でした。

‥‥‥創業までのいきさつは?
 私は、2代目でして、創業したのは先代の私の親父なのです。もともとはこの場所で土建業を営んでいました。元請は県内でも名の通った会社でしたが、終戦後の不景気で頼みの公共事業が削られて、だんだん仕事が少なくなってしまったんですね。そこで東京の寿司屋の娘だったお袋の勧めもあって、寿司屋を開業したらしいのです。

‥‥‥先代もお客さんの前で寿司を握っておられたのですか。
 親父は握りませんでしたね。お袋の兄さんの所から職人を回してもらって営業していました。ただ、親父は、仕事のない時から魚を買い付けたりしていましたから仕入れに関しては目が利きますし、ツテも持っていました。漁港は検見川、船橋、寒川が中心でした。

‥‥‥寿司は当時から高級品でしたか。
 庶民にとってはごちそうでしたね。ただ、昔は冷凍冷蔵設備が発達していませんでしたので、油の多いトロなどは、場末の安い食べ物屋で出されるもので、寿司には使われなかったんですよ。タネの多くは鮪の赤身とコハダのような酢で締めて使われていましたものや、アナゴやエビなど火を通して使われていました。まぐろも醤油の中につけ込むヅケというやつです。

‥‥‥生まれはどちらですか。
 東京は北千住です。空襲で焼け出されて検見川から千葉の蓮池に落ち着きました。ですから店は最初から蓮池だったのですが、もともとこの「丸万寿司」という屋号はお袋の兄貴(叔父)の店の名前からとったんですよ。叔父は、24歳ぐらいで東京の北千住に店を構えたと聞きました。昭和12・3年頃だったのではないでしょうか。
今の店は、叔父からいわばのれん分けのような形で開業したわけです。

‥‥‥先代がこの蓮池に店を構えたのは?
 やはり、寿司屋や料理屋にとって蓮池に店を構えるというのは、当時のステータスでしたからね。それに、花街ですからお客さんの羽振りもよかったですし…。

‥‥‥当時、蓮池界隈には寿司屋はどれくらいあったのですか?
 昭和30年初頭ごろに千葉市内に寿司屋の組合がありました。加盟店は市内全体で当時27,8件。そのうち10数件が蓮池界隈に店を構えていました。半分以上がこの界隈にあったわけです。今では寿司屋と看板を掲げている店だけでも市内で電話帳3ページ分ぐらいありますがね。

‥‥‥店を継がれたのはいつですか。
 私も店を継ぐことになると思っていたので、高校卒業と同時に旅館や大衆割烹で5年程修行してから入店していました。ところが、私が29歳の時に先代が急逝し、それ以来です。昭和46年ごろだったと思います。その前年に結婚して子供も生まれ、親父も喜んでいたのですが、12月27日、ちょうど暮れの一番忙しい日で、店も予約がいっぱいでした。親父はいつものように朝一番で市場に行って、その日の夕方に亡くなりました。脳溢血でした。お袋から知らせを聞いたのですが、店を閉めるわけにも行かずどうにもならなくて…大変な日でした。

‥‥‥界隈に多くの寿司屋がありますが、丸万寿司さんならではのものというのはあ
    りますか。

 食材、素材の吟味につきるのですが、時代に併せ場合に併せた、商品性の変化があります。例えばちらし寿司は、冷たいマグロなどのタネを温かいしゃりの上に、のせてありますからすぐに召し上がればおいしいのですが、時間がたつとしゃりに赤い色がついてしまい、魚の色も変わってしまいます。そこでタネとしゃりを別の器にしてお出しするようにしたのです。たったそれだけのことですが評判となり、うちの看板商品になりました。今ではよく見かけますが、当時はうちが先駆的だったのではないでしょうか。
 ちらし寿司では、最初は弁当のような器しかなかったのですが、評判が高まるにつれ、器もいいものを使うようにしました。もっといい器にして雰囲気を上げたいという気持ちです。今うちで一番売れている商品の磨きをかけていこうということにこだわりがあります。例えば、5千円の宴会でも、他店とは内容や雰囲気が全然違うものをつくっていきたいですし、うちが5千円のレベルを造っていこうという心構えです。
 
‥‥‥店を引き継がれた当初は、先代からのお得意さんの目も厳しかったのでは?
 若いですから、意識はしていなくてもどこか力んでしまうわけですよ。それまでよりも値のはる品を仕入れて一生懸命握った寿司なのですが、常連さんから一言「タネが落ちた」といわれることもたびたびでした。それも直に言われるのではなくて、懇意にしているお客さんを通じて遠回しに聞こえてくるんです。

‥‥‥見返してやろうと気持ちになりましたか。
 そんなことはなかったですね。親父が亡くなる前に長年働いていた店の看板板前が独立したときにも「いずれ丸万はつぶれるよ」といわれました。でも、親父は人に半分、場所に半分という言い方をして「半分持っていったって大丈夫だよ。まだ半分残っているから」と気にしていませんでした。私も同じ気持ちでやってきましたからね。ただ、タネについての勉強は少しずつしていました。魚屋さんに教えてもらったのがほとんどですがね。
 しかし、考えてみたら、私の代になって味付けなどもだいぶ変わってしまったと思います。でもそれは代が変われば仕方がないことなのです。自分が「この方がよりいい感触だな」と思えば、少しずつ変えていくわけです。ただ、店の若い衆からはあまりころころ変えていくので、ときどき怒られますがね。

‥‥‥おなじみさんも代が変わってしまうこともあるでしょうね。
 親父の代からのお客さんで一番古いおなじみさんは亡くなってしまいましたが、今でもその息子さんにひいきにしていただいています。親子3代でお付き合いいただいているお客さんもいますよ。寿司っていうのは、ある店でなじみになるとなかなか変えられないのかもしれませんね。
 
‥‥‥長年お客さんを引きつけておくために必要なことは?
 それは、後継者がちゃんといるということじゃないでしょうか。2代目、3代目を含めて家族全員が家業として店を守っているというのが大きいと思いますね。うちも今娘婿の3代目(俊一さん)が店の味を残そうとしてくれていますし、職人たちもメモをとりながら店に受け継がれた味や伝統を崩さないよう取り組んでくれています。

‥‥‥3代目と板場に一緒に立って教えたりすることはあるのですか。
 ほとんどありませんね(笑)。全然教えないわけじゃないのですが、手取り足取りでは教えません。寿司の握り方などは、人に教えてもらうものじゃありません。自分の感性で握るものです。マネをしているうちはまだダメですよ。

‥‥‥3代目の評価は?

 人間的にも能力的にもうんと幅の広い男だと思っています。何よりも長男なのに、うちの店を継いでくれることがうれしいですよ。それに、食べ物についての言葉を聞いていると、私より深いものを感じます。味も私より3代目の方がわかるかも知れませんね。

‥‥‥寿司職人に必要なものとは?

 基本としての技術、衛生観念数値の把握の上に味の表現が出来ることが大事です。味が分かるためには舌がしっかりしていること、歯が丈夫であることと鼻がいいこと。性格はさわやかで愛想がよくて、何よりも計算がしっかり出来ること。そしてお客さんとのやりとりもしっかりこなしながら、お客さんとの間合いの良さを作れることも重要です。私にないところばかりですね(笑)。

‥‥‥●終戦直後から今日まで、60年にわたりこの地で店を続けられてきた、その
    秘訣は?

 私はちょっと頑固なところがあって、客あしらいも苦手なんですが、うちのおかみさんがそのへんをフォローしてくれています。ですから、こんなに長く店を続けてこれたのはおかみさんのおかげでもあるし、自分自身も時代とともに変わることを恐れなかったということもあるかもしれません。

‥‥‥今、「蓮池」の歴史と名称を残す活動を地区内の飲食店などと共同で進められ
    ているそうですね。

 昔のような花街に戻れるわけはないのですが、この通りの歴史をうまく生かして、デザインや周辺の街路や景観の整備などによって、蓮池をアピールするような形を作り出していこうと考えています。この店も、面格子塀や建仁寺土塀、黒塀などでかつての花街を彷彿させるしつらえをしていますが、これから先は、ちょっとした駐車場なども、所有者にお願いして黒塀で仕切って蓮池の雰囲気を演出してもらおうということも進めています。

‥‥‥●寿司職人に必要なものとは?
 この一角は、近くに大きなにぎわいが有りながら静かで落ち着いた雰囲気がある特異な場所、そんなイメージですね。その時代を知っている団塊の世代が残っているうちにやれれば、そういう売り方が生きるんじゃないかと思います。要は、今あるものを大事にしながら、それが時代とともに磨かれればいいものに育っていくでしょうし、小さくても広い範囲からお客を呼べる店が出来れば、口コミで蓮池の名も広まるでしょう。それでまたここに人の注目が戻ってくると思います。

 
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